渡辺通り

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もう廃止されたチンチン電車(市内電車)の旧循環線が名の起こり。

この路線は明治44年に博多電気軌道が開通させた。

 

先発の福博電気軌道が1年前に走らせた旧貫線に続く開業だが

先の福博電軌が県、市の造った貫線道路を走らせたのに比べ、

こちらはいちいち用地を買収し、那珂川、博多川に橋を4つもかける大工事を行なった。

 

この大事業を推進したのが、博多上西町の呉服商「紙与」の大将、渡辺与八郎

 

当然、社長になることが予想されたが

「社長なんぞぞうたん(冗談)のごと」

と言って承知せず、開業して間もなく亡くなった。

渡辺通りは、その名を受け継ぐ。

 

 

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