よかトピア

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よかトピア概要

古くからアジア太平洋地域との交流が盛んだった福岡ならではの試みとして、

平成が始まって約2か月のタイミング、1989年3月17日から9月3日まで開催された。

 

海外37カ国・地域、国内の1056企業・団体が参加、文化体験ゾーンやパビリオンが設けられた。

 

国内外からの目標700万人を上回る823万人が訪れた。

 

その後、アジアの学術研究や芸術活動に功績があった個人や団体を顕彰する

「福岡アジア文化賞」などが始まった。

 

テーマは「新しい世界の出会いを求めて」。 

 

約30年前、市港湾局で働いていた職員 OB は、

どこにでもある白いガードレールの道路設計を示した職員に

 

「海を感じられる街にしようと人工海浜まで作っているんだ。

単価が上がってもいい、これまでにない街を創ろう」

と図面を突き返した。 

 

福岡市早良区の百道浜から中央区の地行浜にかけての博多湾を埋め立て

約138ヘクタールの新たな土地が造成された。

 

よかトピアの構想が持ち上がったのは、埋立完了の2年前の1984年。

市長選で4選に臨んだ進藤一馬市長が国際博覧会開催を公約に掲げ、実現に導いた。 

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当時のよかトピア会場

アジア太平洋諸国の生活・文化や歴史を体験できる
アジア太平洋ゾーン
未来社会を垣間見られる
パビリオンゾーン

などで会場内を構成。

43あったパビリオンは連日長蛇の列となり、各国の伝統芸能を紹介するステージは多くの人だかりができた。

 

香港の人気俳優ジャッキーチェンさんが参加したパレードには

3万人ものファンが来場したとのエピソードも残っている。

 

従来の博覧会で主流だった科学技術の紹介だけでなく、体験や出会いにも力を入れた結果、

入場者数は目標の700万人を大幅に上回る約823万人に上った。

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よかトピア跡地

よかトピアの成功を機に福岡市は国際化が加速、会場となったシーサイドももちエリアは

新しい街として大きく姿を変えて行くことになった。

 

171日間の開催後、よかトピア跡地に新しい街が生まれた。

 

よかトピアのシンボルだった福岡タワーが残り 、

「福岡ドーム(福岡ヤフオクドーム)」が日本初の開閉式ドームとして完成。

 

1989年夏には市民レベルの国際交流イベント「アジア太平洋こども会議・イン福岡」がスタートし、

これまでに約9400人の子供が福岡を訪れた。

 

90年にはアジアの学術研究・芸術・文化に貢献した個人や団体を表彰する

「福岡アジア文化賞」が設けられ、 第2回では2019年2月2亡くなった

ドナルド・キーンサンガ受賞するなど、多くの芸術家や研究者が表彰された。

 

90年、福岡市早良区百道浜に「福岡市博物館」が開館。

当時、 自治体博物館としては西日本一の規模で、

現在も多くの観光客が訪れる人気スポットとして定着している。

 

その後、福岡市では「アジア太平洋都市サミット」や「ユニバーシアード福岡大会」が開かれ、

「福岡アジア美術館」も開館した。

 

「福岡ソフトリサーチパーク」や「福岡市総合図書館」ができ、

九州を代表する観光地と同時に、知の集積地となった。

 

90年に123万人だった福岡市の人口が158万人を突破する一因になった。 

 

福岡ヤフオクドームは野球だけでなく、人気アーティストのライブも開かれ、

九州に加え、アジアのファンまで訪れるようになった。 

 

情報通信業の従業員数の人口割合が政令市では大阪市に次いで2番目に多い福岡市。

シーサイドももち地区はその牽引役でもある。

 

90年代に国内外の大手6社・グループが 進出。

一部企業の撤退はあったが、現在も中小を含む 約100社で約5500人が働く一大拠点となっている。

 

百道浜には現在、一戸建てやマンションに約7800人が暮らしている。

福岡ヤフオクドームそばの高層マンション2棟で 計 584 戸も新たに加わった。

 

同年11月、「福岡ヤフオクドーム」隣接地に大型商業施設「 マークイズ 福岡ももち」がオープン。

約48000平方メートルの店舗面積で、ファッションやグルメなど幅広い世代が楽しめる163の店、

複合型映画館、大型ライブハウスなどが入った。

 

よかトピアに合わせて建設された福岡タワーは2019年2月に 館内の全面リニューアルを実施。

仮想現実( VR) の技術を使った双眼鏡を新設し、来場者は市内各地を空中散歩する映像を楽しめるなど、

福岡市を代表する観光拠点としてさらなる高みを目指す。

 

6月には、20カ国・地域( G 20)財務相・中央銀行総裁会議が中央区地行浜の

「ヒルトン福岡シーホーク」で開かれ、国際的なスポーツ大会も相次いで予定されている。

 

住宅に働く場、レジャー施設が近接するシーサイドももち地区。

「これまでにないニュータウン」

としての問題も起き始めている。

 

福岡ヤフオクドームでプロ野球の試合やイベントがある日は、生活道路にもマイカーが入り込んで大渋滞。 

 

平成、そして令和の新しい元号となっても、福岡市の国際化、シーサイドももちの発展は続き、

よかトピアのテーマであった世界との出会いを大切にする精神は人々に受け継がれていく。