黒田長政は、慶長6年(1601年)から7年がかりで城を築き、
それまで那珂郡福崎と呼ばれていた一帯を福岡と名付ける。
祖先のいた備前(岡山県)邑久郡福岡にちなんだ。
完成した城の別名が舞鶴城。
その由来は沖合から眺めると、鶴が両翼を伸ばして舞うように、
お城を頭の部分として東西に城下町が長く連なっていたからだと説く人もいるが、
果たしてそこまで考えていたかは疑問。
仙台城を青葉城、姫路城を白鷺城と呼んだように
ちょっと気取って縁起の良い名前にしたのではないだろうか?!
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