この人がいなければ、今の福岡・博多は無かった。
軍師として名高い黒田考高(通称:黒田官兵衛)の嫡子。
幼少時代は、その才能を恐れられた父のせいで、人質時代を過ごしています。
本能寺の変後は、親子共々、秀吉に従事。
賊ヶ岳の戦いや、小牧・長久手の戦い、九州平定のちの朝鮮出兵などの功績で
1601年現在の福岡(筑前国)を与えら、初代福岡藩主になります。
父:官兵衛の影響で、1587年にはキリスト教の洗礼を受け、「ダミアン」の洗礼名も持っています。
1604年、父:官兵衛が亡くなった時、キリスト教と仏教の両方の法事を大々的に行ない、
2年後京都にその供養塔も建立。
性格的には、物事に対して熟慮するタイプで父の官兵衛の短気とはどうも逆だったようです。
辞世の句 ※人がこの世を去る(去る間際)時に読む歌
「此のほどは 浮世の旅に迷い来て今こそかへれ あんらくの空」
を残し、この歌は黒田長政の性格を表している。
現在の福岡の地名は、元々は「福崎」。黒田家のゆかりの地・備前福岡(現在の岡山県)から
その名を取ったとされています。
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