博多出身の有名人・著名人について書いているページです。
伊藤野枝-いとうのえ
明治28年、糸島郡今宿村に生まれる。 16歳の夏、親が決めた因習的結婚に反抗して、新婚生活を振り切って上京。 上野高女に入学後、英語教師と2度目の結婚をし、20歳で平塚雷鳥の後を受けて 「青踏社」の主幹となり、女性解放を叫び続けた。 やがて...
三原監督(三原脩-みはらおさむ)
三原監督は福岡出身ではありませんが、 福岡の球団ライオンズを全国区にした人物としてこちらに掲載しております。 優勝監督でありながら、追われるように巨人を去り、昭和26年、新生ライオンズの監督に就任。 大下、中西、西村、豊田、河村を獲得。 球...
仙厓和尚
聖福寺の123・125代の住職。 正式には、仙厓義梵(せんがい ぎぼん) 庶民の味方として大衆の中に生きた博多の歴史に残る傑僧。 良寛と並んで、貴重な書画やたくさんの逸話が残されている。 いつも最後までお読みいただきありがとうございます。 ...
広田弘毅-ひろたこうき
福岡生まれ。 東京帝国大学卒業後、駐ソ大使、外相、そして昭和2年~3年は首相となる。 戦争を回避するために、横暴な軍部に対して抵抗したが挫折し、 戦後はA級戦犯として処刑されてしまう。 彼の高潔な人柄を知るには、城山三郎の「落日燃ゆ」を読め...
平野国臣-ひらのくにおみ
筑前黒田藩の足軽の子として生まれ、名は二郎。 脱藩し、尊王攘夷運動に奔走する。 誰の家来でもなく、天皇の臣であるという考えから「国臣」と名のった。 文久3年8月17日に、吉村寅太郎らの天誅組の変により運動の士気は高まったが 翌8月18日の政...
箱崎つんちゃん
今は昔、明治の中頃、博多に有名なフェミニストがいた。 つんちゃんこと大神常吉である。 箱崎生まれで果物仲買いが本業だったが、商売柄あっちこっち歩き回り、 嫁入り前の娘たちの年齢から趣味まで調べ上げ、 「筑前国娘別品競(ちくぜんこくむすめべっ...
ARB-アレキサンダー・ラグタイム・バンド
メンバー4人のうち2人が福岡出身のロックバンド。 主にボーカルの石橋凌が目立った存在で、今の石橋凌の印象は「俳優」 1990年に俳優に専念するために国立代々木体育館でバンドを解散した。 ふくおか博多時代のARBは、同じ時代の若者にストレート...
りりィ
福岡の中央区天神生まれ、当仁小学校にも通っていた。 異色のハスキーボイスで歌った「私は泣いています」は昭和48年のヒット曲。 一時期、趣味でバイクに嵌り、カワサキの400を乗り回していた。 1981年の「天動説の女」はあのマツヤレディスのイ...
柳原白蓮-やなぎはらびゃくれん
柳原伯爵の二女として明治18年に生まれ、女流歌人としても有名。 その美貌と豪華な生活から「筑紫の女王」と言われた。 2度の離婚後、宮崎竜介に走ってから、無産者開放を叫び、平和運動に興味を持つようになる。 昭和42年没。 歌集には「踏絵」「幻...
長谷川法世
代表作「博多っ子純情」で博多弁を全国に広めた博多出身の漫画家。 博多町人文化勲章を受賞(昭和55年)、 テレビCM出演(現在は、博多のおみやげ人気上位のはかた通りもん)など活躍。 タモリや赤塚不二夫とも親交があり、 なんでも奥さんの経子夫人...
永井龍雲
福岡県京都郡豊津町出身のシンガーソングライター。 デビュー曲の「想い」や某航空会社のCMソング「道標ない旅」などが有名曲。 他にも 桜桃忌 カルフォルニア伝言 など高音の澄んだ歌声が特徴。 デビュー当時はFM福岡で「龍雲のミュージックラブレ...
タモリ
ふくおか博多出身のスーパーエンターティナー。 本名は、森田一義。 福岡の南区高宮中学校、筑紫丘高校卒業後、早稲田大学中退。 ふくおか博多に戻って、サラリーマン、ボーリング場支配人をやっていたこともあるが ある時、福岡に来ていた山下洋輔バンド...
シーナ&ロケッツ
「最後まで楽しんじゃりィ~」と福岡でも東京、ロスでもこの言葉でコンサートを開始。 音楽もファッションも60年代ムードで、日本の最前線を突っ走っていたR&Rバンド。 サンハウス時代から下積みを乗り越えて、いろんなバンドとコラボしたり 海外進出...
海援隊
歴史的史実で説明すると 慶応3年(1867年)坂本龍馬によって結成された、貿易商社。 ボーカルの武田鉄矢が坂本龍馬を崇拝していたことから、1972年にこのバンド名でデビュー。 売れない時代が長く、あの小倉出身の高倉健主演の「幸せの黄色いハン...
渡辺与八郎-わたなべよはちろう
博多の呉服屋に生まれたスケールの大きな商人。 昼食1時間休憩を取り入れたり、遠洋漁業会社や博多紡績(現在のカネボウ)を創業した人物。 博軌電車開通に全力を尽くしたのも彼で、今の渡辺通りはもちろんこの人の名前から付けられた。 渡辺通り沿いのビ...
黒田長政
この人がいなければ、今の福岡・博多は無かった。 軍師として名高い黒田考高(通称:黒田官兵衛)の嫡子。 幼少時代は、その才能を恐れられた父のせいで、人質時代を過ごしています。 本能寺の変後は、親子共々、秀吉に従事。 賊ヶ岳の戦いや、小牧・長久...
母里太兵衛-もりたへい
ぼりたへいとも言う。 「酒は飲め飲め~飲むならば~」の「黒田節」の主人公。 黒田長政に仕え、 文禄3年に名代として猛将だが酒乱で有名な福島正則邸を正月に訪れ、 自分も酒乱だったため、黒田長政から「決して酒を飲んではならぬ」と止められていたの...