戦後の町名変更で突如現れた町名。
そこで「福岡城に大手門はなかったのに東京の真似をして」という批判があがったが
もともと、大手門とは城の正門のこと。福岡城は上(かみ)ノ橋、下(しも)ノ橋の2つが大手門であった。
いざ新町名をつけるにあたり、「上ノ橋だ」「下ノ橋だ」と意見が対立してまとまらない。
それを「大手門」という名で統一した。苦心の妥協案だったわけだ。
黒田藩のころ、上、下という名付け方は、将軍家のいる江戸を中心としている。
これが城下町の上名島、下名島(今の中央区舞鶴)となると、福岡城に近いのが上、遠いのが下だった。
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