黒田官兵衛

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黒田官兵衛、黒田孝高または黒田如水。

1546年12月12日(天文15年)に播磨国(現在の兵庫県南西部)に生まれる。

 

織田信長・豊臣秀吉に仕え、頭脳明晰で様々な武功を挙げ

天正14年(1586年)大友宗麟の要請で九州征伐の軍監として豊前国(大分県)に上陸

翌年3月に日向(宮崎県)方面に先鋒として南下し、鹿児島の島津義久と戦い、戦勝。

 

天正15年に九州平定に大きく貢献して、12万石の豊前国を与えられる。

石田三成らとともに、博多割りを監督。

 

関ヶ原の戦い後、息子の長政に

豊前国12万石から筑前国名島(福岡県)52万石に大幅加増されて

長政が藩主。官兵衛は中央政府への登用の話もあったがこれを断り、福岡で隠居生活を送った。

如水という名は、熱心なキリシタンでもあった髪を剃った晩年の官兵衛の別名である。

 

官兵衛は、相当な頭脳の持ち主で名言をかなり残している。

きっと現在にも通づるものも多いので調べてみるのも面白いと思う。

時間があれば書籍、さっと読むのであれば漫画でも良いと思う。

 

黒田家の先祖の土地:兵庫県西脇市の荘厳寺では毎年、官兵衛の法要が行なわれている。
お墓は、福岡市博多区の崇福寺。
現在、祀社(神様として祀ってある)は、福岡市中央区の西公園光雲神社
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