語呂合わせのようだが、地行は知行に通づる。
俸禄(月給)に代えて藩士に土地を与えることだ。
黒田長政は、
今の地行一帯に埋立工事を進めて、ここに平社員や嘱託クラスの武士を住まわせた。
地行に一番丁から七番丁まであったのは、当時の組屋敷の名残りで、ナンバーがついた。
下級武士は、質実に錦竹(きんちく)の生け垣を巡らしたから
博多っ子は「チンチクどん」とあだ名を付けたが、実はこの竹、
いざ合戦のときの鉄砲の火縄になる。
普段の生け垣として使い、いざという時の武器の一部
なんと昔の博多の武士は合理的な考えを持っていたと感心する。
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