平安時代の延喜元年(901年)、
右大臣・菅原道真(天神さま)は左大臣・藤原時平のペテンにかかり、
大宰権師(だざいごんおそち)に左遷されてしまう。
旅の途中、四十川の水を鏡代わりに、きのうに変わる姿を嘆かれた。
そこから「水鏡天神」、または「容見(すがたみ)天神」と呼ばれ、庄(今の中央区今泉)に祭られていた。
慶長一七年(1612年)初代藩主:黒田長政が現在地(中央区天神1・水鏡天満宮)に移した。
なぜ移したかと言うと、これが鬼門(きもん)を鎮めるため。
陰陽道によると鬼門は東北の方角で、そこは鬼が出入るするから、神様を祀って鎮めなければならないということ
福岡城の東北に祀ったとされている。
天神さまの住む町だったから、「天神町」。
戦前派は、律儀に「テンジンノチョウ」と読んだが、戦後、人口の流動などで
西鉄電車の車掌さんが「テンジンチョウ」と呼ぶようになり、お次に
町名変更で「テンジン」と省略されたものが今の呼び名である。
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